裁判例⑪では、内定承諾撤回書に内定者が署名しましたが、その撤回が内定取消しに合意したものとは認められませんでした。

会社としては、内定を取り消すために内定者による書面上の合意を取るべきです。
そして本事例でもそのとおりにしたのですが、それが内定者の真意に基づくものではなかったと認定されました。

裁判所は、労働者が会社に対して言いたいことが言えない存在であることを前提にしていて、不利な条件を呑ませるには一定の配慮が必要という立場を採っています。
今でもそうした傾向がありますので、古い事例ですがその点で参考になります。

内定承諾撤回書に署名した経緯

「昭和四七年一〇月二八日午後一時ごろの被告会社広島事業本部応接室における面接の状況について、〈証拠〉を綜合すると、原告が応接室に入つたところ二人がいて、「顧問弁護士の内堀と高橋人事部長です」と紹介のうえ、内堀弁護士から「会社の決定で採用を取消したい、会社の方から一方的に取消をすると君の将来にも傷がつくし、次の就職にも差支えるので君の方から撤回を出してもらえないか」と切り出し(内堀正治証言は「会社の人員の都合で採用内定を辞退してくれということです」と述べたという)、準備してあつたタイプ書きの就職希望撤回届(乙第一二号証)を示し、「五七万円を差上げるから了解して下さい」と述べたこと、原告がその理由を尋ねたところ「今は詳しく言えない」と答え、原告が「その決定はもう変えられないのですか」と尋ねたところ、「そういうことだ」と答え、「帰つて考えてみるか」と述べたが、原告は右撤回届に署名し、内堀弁護士から左手人さし指でと言われて指印したこと、そのあともう一度原告が理由を尋ねたところ、内堀弁護士は「理由は君が一番よく知つているだろう、会社と君の信頼関係が崩れたんだ」と述べたこと、以上の話合は一〇分間となつたが、その間原告が撤回届用紙にお茶をこぼし高橋人事部長がこれを持つて用紙を替えに行く(替はなく拭いてもどつた)などしたので実質的には数分で終つて原告は帰宅したことが認められる。」

これを読むと、会社側は唐突に内定取消しを告げています。
そしてそれについて考える時間はほとんどなく内定承諾撤回書に署名しています。

内定者はかなり動揺した

「 (二)〈証拠〉によれば、原告は右面接時まで採用内定取消を全く予想しておらず、内堀弁護士の突然の話に手がふるえてお茶をこぼすほどに動揺し、採用内定取消は被告会社の動かし難い決定であると考え、速くその場から逃げ出したい気持が強く、言われるまゝに撤回届(乙第一二号証)に署名指印したものと認められる。
原告がこの時まで採用内定取消を予期していなかつたことは一項(3)(5)の経過によつて明らかであり、〈証拠〉によれば、被告会社側の両名は原告が採用内定辞退に同意しないときのことは考えていなかつたと述べており、撤回届はすでに準備されていたのであるから、被告会社側が仮に「会社の人員の都合で」という言葉を用いたとしても、その場の雰囲気などから原告が被告会社の動かし難い決定と受取つたのは当然であり、また、原告が激しい精神的動揺を受けたことも想像に難くない
(三) 以上認定の事実と一項(7)のその後の経過からみると、原告が面接時に被告会社の採用内定取消を納得し、これに合意する趣旨で撤回届に署名指印したものとは認めることができず、被告会社の合意解約の主張は採用できない。」

客観的には考える時間がなかったこと、そして弁護士と人事部長を目の前にして内定取消しの決定が変わらないと観念したこと、お茶をこぼすほどに動揺したこと、からすると、内定者が真に内定取消しに同意して内定承諾撤回書に署名したとは認められないということです。

内定取消しの際に会社として注意すべきこと

その場で署名させないこと

どのように配慮をしたとしても、内定取消しを通知したその場で内定承諾撤回書に署名させれば本事例のように内定承諾撤回の意思表示は無効とされる可能性があります。
したがって、内定承諾撤回書は一度持ち帰って1週間以内に署名して持参するよう依頼するくらいが良いです。

どうしてもその日に署名してもらいたいとき

会社側の人数は1人か2人してあまり圧迫感を内定者に与えないように配慮してください。
これは内定承諾撤回書を持ち帰ってもらう場合でも同じです。

部屋は、できれば窓のある部屋で面談するのが良いです。
あまり狭過ぎない部屋にしておきましょう。

拘束時間は短く、それで署名してもらえない場合には内定承諾撤回書を持ち帰ってもらいましょう。

あとは内定者の様子を観察して余りにも動揺しているようであれば、署名を無理強いすることはないようにしましょう。

1人で考える時間を作ればそれだけ真意に基づく署名になります。
また、どこかに電話を掛けることも許してください。誰かに相談してそれで署名したなら真意に基づく署名とみなされる可能性が高くなります。

もっとも、あまりにもショックを受けて平常心を保ててないようなら1人にするのは内定者自身が心配ですので、その際は帰宅をさせてください。

弁護士 芦原修一