このブログでは原則として労働問題のみを取り扱うようにしていますが、特別に関心のあるミャンマー情勢について書いてみました。3月2日に一度書き終え、2週間後の同月16日に書き加えました。
さらに6日後の同月22日、新しい情報が入りましたのでこの記事に追記しました。分かりやすいように赤字で表示しています。

はじめに

いま日本でも報道されているとおり、ミャンマーでは2月1日に軍事クーデターが勃発し最近には市民に銃口が向けられ死亡者も出始めています。

私とミャンマーとの関りは2014年5月の3週間足らずの旅行1回です。
ビジネスで関わっているわけではないのですが、そうした旅行への記憶からクーデターが始まって以来日々情報に接してきました。

一次情報についてはミャンマー在住の方々が頼りであり、特にClubhouseでは毎日活発に発信されているところです。

今まさにデモに参加しているミャンマー人、彼らをバックアップしているミャンマー人、ミャンマー在住の邦人、ミャンマー外に在住するミャンマー人、その他ミャンマーに深く関わっている方々にとってもやるせない状況であり、特にミャンマーの外にあっては何もできないもどかしさを感じられていると思います。

こうした状況において私ができることも当然ほとんどないのですが、仮にできるとすればまだミャンマーのこの状況をまったく知らない日本人に対して日本語で私なりの切り口で説明することです。

ミャンマーはいま戦国時代だ

国の歴史というのは「よーいドン」でそれぞれ始まったわけではなく独自の変化を遂げています。
したがって、簡単に第二次世界大戦後からのミャンマーの歴史を知ってください。

第二次大戦後から現在まで

第二次大戦前、ミャンマーはイギリス連邦の植民地でした。
1948年にイギリス連邦から離脱し当時の国名としてビルマ連邦として独立しました。
しかし独立はしたものの中国国民党の侵入(共産党に敗退して)、国境付近の麻薬軍閥の存在(ゴールデントライアングル、麻薬王クンサーなど)、地方の少数民族(カレン、カチンなど)の存在により不安定な状態が永く続くのです。
辺境において不安定な状態が続くとそれを平定するために軍事の必要性が高まり自ずと国軍の存在感が高まることになります。

1958年、ネ・ウィン将軍が権力を掌握し軍事政権の下地を作り始めました。
ネ・ウィン将軍は旧日本軍の軍事訓練を受け当時は日本名で「高杉晋」と称しており戦前に日本とは浅からぬ関係にありました。

そこから長い軍事政権が続き鎖国状態が継続しました。日本人にとっても『ビルマの竪琴』を超える印象を持てなかった時代です。
1988年に民主化運動が勃発しネ・ウィンは退陣したのですが院政を敷くように影響力を持ち続け、現在の民主化のシンボルであるアウンサンスー・チーは自宅軟禁されることになり民主化運動は鎮圧されます。

時を前後して国名を「ミャンマー連邦」に変更したのもこの頃です。

アウンサンスー・チーを軟禁し続けることについて欧米諸国からの批判が強まるにつれ民主化へのロードマップを作り始められましたが、それは不十分なものとして批判が高まり2007年に反政府デモが活発化します。
軍事政権はそれも武力で鎮圧しました。

しかし民主化運動の波に抗じられず軍事政権はアウンサンスー・チーを解放し2010年に総選挙を実施しました。
そこで民政移管がなされアウンサンスー・チー率いるNLD(国民民主連盟)が政党として正式登録されました。

2015年、民政移管後に初めて総選挙が実施されました。
NLDが圧勝しアウンサンスー・チーが大統領になろうとしましたが憲法上認められないということで国家顧問というポジションを創設しアウンサンスー・チーが事実上の大統領、権力者となりました。

ここまでが簡単な説明です。
ただ、これを黒い軍事政権を白いアウンサンスー・チーが倒したとだけ理解しては今のミャンマーを理解できないと思います。結論としてはそれでも良いのですし今まさにそういう構図に近いのですが、西欧的価値観に照らしていまどういう状態かを見るべきです。
これはいま国民が基本的人権を擁護する西欧的価値観を指示していることから理解を深めるためのツールだと思ってください。決して西欧的価値観が絶対的ということではありません。

2008年憲法は西欧的価値観からは不安視されていた

現行憲法である2008年憲法は国民の基本的人権が擁護されない危険がある点で西欧的価値観からは不安視されます。

現行ミャンマーの議会は二院制ですが両院ともに国軍指名の議員が25%を占めることが所与のものとされています(ミャンマー連邦共和国憲法109条2校、141条2項)。
そして、憲法改正には少なくとも議員総数の75%の賛成が必要です(同436条各項)。
したがって、国軍の意向に反する憲法改正は不可能となっています。

このように国軍の自由裁量が許される2008年憲法であり西欧的価値観からは不安視されてきたのですが、当時国軍の影響力を完全に削ぐことは現実的ではなく民主化の過程として国軍が納得できる形での制定憲法でした。

これとともにアウンサンスー・チーを国家顧問として大統領より上位に置いたことも本来であれば西欧的価値観からは容れられません。
「国王といえども法の下にある」というのが法の支配を表す法諺(法に関することわざ)ですが、「アウンサンスー・チーといえども、国軍といえども、法の下にある」べきと考えるのが西欧的価値観であり、近代憲法の在り方です。

アメリカ、EUなどミャンマーに圧力をかけてきた諸外国もそのことは承知のうえで、ミャンマー連邦を上手く離陸させるためには民主化のシンボルであるアウンサンスー・チーを最上位に置き、国軍へ最大の配慮をした2008年憲法でも仕方がないと許容したものと思われます。

クーデターは合憲と解釈できるが…そもそも現行の2008年憲法は正当化の根拠にはならない

現行ミャンマー憲法339条は「国軍は、あらゆる国内外の危険からミャンマー連邦を守る際、主導的な役割を果たす義務を有する。」としています。
これを根拠として国軍はアウンサンスー・チー及びウィンミン大統領を拘束し権限をはく奪した上で、ミンスェ暫定大統領が同417条に基づき国家緊急事態を宣言し、同418条に基づき国軍司令官に全権を移譲したものと見られています。

339条を根拠にすれば何でもできてしまうのでこれを合憲と言うのは憚られますが、それでも頑張って合憲と解釈することは一応可能ではあります。

しかし、そもそも解釈の余地なく国軍によるクーデターを許容しない憲法であるべきですし、妥協の産物であった2008年憲法の最悪な部分が出てしまった以上、合憲と解釈してもあまり意味がありません。

ナチスドイツを例に挙げるまでもなく形式的に法に従えばすべて合憲、合法というのは法の支配の考えとは相容れず、実質的に基本的人権を擁護し民主主義を尊重するのが近代国家のあるべき姿だとすると、今のミャンマーは未だ近代化の途上にある戦国時代と見るのが分かりやすいです。

ただし、戦国時代は400年以上前であるからミャンマーは遅れているという単純な見方を持って頂きたくはありません。
国家としてまとまるのは各国それぞれの事情があり、日本はたまたま第二次大戦での敗戦を経て日本国憲法を手に入れて実質的な近代化を図れたのであり偶然の要素も多いに影響するからです。

ミャンマー戦国時代における対立

多くの国民は国軍に反感を持ち抗議し続けている状況です(2021年3月2日現在)。
皆が皆NLD支持者でアウンサンスー・チー支持者かというとそうではありませんが、少なくともアンチ国軍という姿勢では大勢で一致しています。
そうでなければ国軍が銃を国民に向けて発砲し死傷者が出ている状況下でもなお立ち向かい続けられないでしょう。

国軍による「合憲」クーデターは最後の切り札だったので国軍にとってももはや武力で国民を制圧する以外の手段がありません。
しかし、国民はへこたれずに立ち向かってきますので国軍はあたかも一向一揆衆に相対している気分になることでしょう。

この1ヶ月では国軍vs国民という構図が目立ちますが、国境付近の少数民族の武装勢力は勢力を保ち続けており存在感を示しています。
日本人にもキャッチーなロヒンギャ問題も一向に解決していません。

こうした混沌とした戦国時代にあって国民が望んでいるのは多くの諸外国の国民が享受している自由です。
何かあれば武力で制圧されることにうんざりしています。

以上のように見ると、我が国の戦国時代におけるのと同じく「殺るか、殺られるか」という状況に陥ってしまったのかと憂鬱になります。
このような国軍の在り方は早晩持たないものと思いますが、真の民主化をミャンマー国民が得るまでにどれだけの血が流されるのかと思うと、こうして分析的にミャンマーを見ることに耐え難いものを覚えます。

ここまでが3月2日時点

ここまで書き上げたのが3月2日です。
いまは3月16日です。
2週間経過しましたが国軍の暴力は増すばかりで国民の死亡者数は増え続けるばかりです。

戦国時代だからこそ武力を意識しなければならない

ミャンマーを戦国時代に例えましたが、戦国時代にものを言うのは武力です。
国軍vs国民の構図上、いずれにおいても国軍が圧倒的優勢です。
しかし、国軍が国土を完全制圧し国家運営を安定的にするには国民を沈黙させなければならず、それには力不足です。
数か所で対立する分には国軍にとっては余裕なのですが、ミャンマー全土各所でデモが行われている以上、兵力を分散させて鎮圧させなければならず、それほどの余裕はないものと見えます。

さて、国軍に対応してNLD議員らによって設立された「連邦議会代表委員会」(CRPH)が、少数民族であるカレン族の勢力「カレン民族同盟」(KNU)のマーン・ウィン・カイン・タン(上院議長)を副大統領代行に指名しました。
NLDはデモを行なっている国民側に支持されている存在であり、KNUの重鎮を副大統領代行に指名したことはすなわち連帯を強調するためと見られています。

KNUはカレン民族解放軍(KNLA)という軍事部門を有しており、もちろん国軍との兵力の差は圧倒的ではありますが国民の非武装のデモとは次元の異なる地力を有しています。
つまり、国軍にとって非武装のデモを鎮圧する程度の兵力では対峙することは難しくそれなりに兵力を割かなければなりません。

こうした動きに他の少数民族勢力が追随すると、国軍の優位性は少し揺らぎます。
私が期待しているのはこの点です。
よく、話し合いをして落としどころを、と言われますが国民にとって譲歩することは考えられないのです。
もちろん、国民がこれ以上死亡することは可能な限り避けるべきですが、国民の側だってそれは承知のはず。
「死亡者を減らす又はゼロにする」ことは目的ではなく、ミャンマーにおいて民主主義を獲得することが目的であるはずです。
そうであれば現状、国民の側が引く理由はありません。
では国軍の側を引かせるためにはどうするべきか、それは武力で圧倒できないと認識させることです。
そのためにも国軍 vs 国民から国軍 vs 国民+”従来の”少数民族という対立軸に変えることが重要だと私は考えます。
少数民族勢力らがどれだけの自治権を求めるかにも依りますが、彼らにとってはこれまでよりも好条件での妥結ができる千載一遇のチャンスとも言えます。

そうすると国民の側がそれだけかつての異物たる少数民族を内包することになり、多数決原理に従えばそれだけ連邦国家の統治者としての正当性が高まります。
正当性が高まるということは相対的に国軍の正当性が落ちることになりますし、欧米諸国も支援を差し伸べやすいと言えます。

アウンサンスー・チーの引退は必須かも

報道によればCRPHは現行憲法(2008年憲法)を廃止し新憲法を公布したい方針とのことです。
これはいまソースを見ておらずどこかで見かけたものなので誤りの可能性があります。

このCRPHの意図は国軍が国家運営のイニシアティブをとれる仕組みである現行憲法を廃止するべきという点にあると推測できます。
現行憲法はその点で欠陥憲法であり民主主義に即した近代憲法ではないということです。
そうすると、この指摘は諸刃の剣でしてクーデター前まで国家顧問として大統領の上に君臨していたアウンサンスー・チーの引退とセットになるでしょう。
憲法上の最高指導者である大統領の上にアウンサンスー・チーを置いたことは近代憲法の在り方にそぐわなかったからです。

もしミャンマー国民が戦国時代を脱して近代国家へと離陸することを望むのであれば、これは致し方のないことだと考えます。

ロヒンギャ問題を棚上げにするか取り込むか

前項で”従来の”と注釈を付けましたが”従来ではない”少数民族はロヒンギャ族です。
ロヒンギャ族の問題は人権問題としてアメリカ、EU諸国(「欧米諸国」)には映っていますので、彼らを上手く取り込み、国軍 vs 国民+従来の少数民族+ロヒンギャ族という構図に持ち込めば欧米諸国からの圧力は相当なものとなるでしょう。

ただし、対ロヒンギャ族の問題に関してはミャンマーは一枚岩と言ってよいくらい排除の論理が働きます。
これを乗り越えられれば良いのですが簡単ではありません。国の在り方そのものが変わるからです。
国の権力は司法、立法、行政ですが、ロヒンギャ族はイスラム教を信じていますのでイスラム法がミャンマー法に優越すると考えており司法権ですら自治で行使したいという意向を持っています。
こうしたロヒンギャ族をミャンマー連邦に取り込むことは相当困難です。そもそも連邦の一員とみなせるかという問題があります。

ロヒンギャ族を嫌悪しているミャンマー人も少なくないようですし、取り込もうとすると国民の連帯性が崩れる恐れもあります。
無難なのはロヒンギャ問題を棚上げしつつ、他方でカレン族等の少数民族を取り込むことなのかもしれません。

ロヒンギャ問題について書いたこの項は3月16日のものですが、同月22日新しい情報が入りました。

3月21日(日本時間では22日午前0時46分)、CRPH(Committee Representing Pyidaungsu Hluttaw 連邦議会代表委員会)の国連特使であるDr. Sasaがロヒンギャ族を「兄弟姉妹」と呼びました。

6日前に私は、「無難なのはロヒンギャ問題を棚上げしつつ、他方でカレン族等の少数民族を取り込むことなのかもしれません。」と意見を表明しました。
しかし、Dr. Sasaがこのように表明したということはCRPHはロヒンギャ問題を棚上げにするつもりはないということです。
国民側がロヒンギャ族を取り込むことで、国軍 vs 国民+従来の少数民族(カレン、カチン等)+ロヒンギャ族という構図が作られつつあります。

私が懸念したように国民の中ではロヒンギャ族に対する感情は良くないものであることには変わりないので連帯性がほころびる可能性はありますが、国軍を一気に追い込めるチャンスでもあります。
国民+従来の少数民族(カレン、カチン等)+ロヒンギャ族が連帯すると、ミャンマー連邦という括りでは多数決原理における正当性に疑いがなくなるので、欧米諸国からの圧力は一層強いものとなるでしょう。

そして何よりも、国軍の暴力に対して国民の側の「実力」が強化され、国軍が不利になることにより国軍の連帯にほころびが出る可能性もあります。 CRPHは一種の賭けに出ましたが中リスク高リターンの賭けだと思います。

終りの見えない状況

そろそろ本稿をまとめますが、終りの見えない状況でありまとめようにもまとめられません。
改めると、日に日に国民の死亡者は増え続けており国民の側の気力がいつまで持つか分かりません。
翻って国軍の側も思った通りに国民の怒りを武力鎮圧できておらず余裕がなくなってきています。
どちらがどこまでアクセルを踏み続けられるか、そんな様相を呈しています。
いずれの側にも矛を収める理由がない以上、この悲惨な状況が収まることは当分ないものと思えます。